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日本大学法学部 臼井ゼミナール

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[U-12 PRIDE] 臼井教授編 PART3(完結編)

2019年06月28日

カテゴリー: U-12 PRIDE 臼井教授

論文執筆の価値 

シリーズ第3回「全体像と具体性を構成する力」

 

私は過去10年間、大学生や社会人院生へ論文執筆の指南をしてきた。もちろん私自身も国内外の共同研究者とともに論文執筆に日々悩んでいる。そこで浮かぶ疑問がそもそも大学生個人にとって論文を執筆する価値とは何か?である。理系でもない文系の学生が果たして真理を追求できるのだろうか?企業に就職してから役に立つのだろうか?大学生はいかなる能力の修得を目指して論文執筆という荒業に挑むのだろうか?今回のブログではこの問題に対する私の考えを3回に分けて披露しよう(第1回のポストからすでに3年、第2回から2年が経過しようとしている。本ブログは学生が主体であるため私の出番は少ないのである。ご理解いただきたい。)

 

第1回目の記事はこちら

第2回目の記事はこちら

私は論文執筆には人生を豊かに過ごす奥義があると考えている。

 

事実私は,論文執筆のみならず企業コンサルから子育て、様々な交渉事においてもこの奥義を実践し、人生を豊かに謳歌していると自負している。

 

論文執筆の価値、すなわち身につけることができる能力は3つある。
今回は、第三の価値「全体像と具体性を構成する力」について考えてみよう。これでこのシリーズは完結を迎える!

 

1強い興味と関心に基づく読解力
2科学的手法に基づく説得力
3.全体像と具体性を構成する力


3.全体像と具体性を構成する力

 

中学生になったぐらいだったと記憶している。私はいつも疑問に思うことがあった。

「この話は全体の中でどの辺に位置付けられるのか?」

「なぜ指導者はこの練習方法を指示するのか?」

「この練習方法は正しいのだろうか?(漢字の書き取りや英単語の暗記など)」

「この本を読破すること、この練習の積み重ねることで、何ができるようになるのだろうか(何が達成できるのか)?」

「どの順番が最適なのか?本当にこの順番でいいのだろうか?」

「なぜ有名大学へ進学しなくてはならないのか?」

 

そう、私はこんな質問を先生や先輩、そして上司にぶつけてきた。

実に生意気である。

全体像がはっきりしないと、私の性格上、前に進めないのである。

「何のために、今、これに取り組んでいるのか?」

「この次は何に取り組むべきなのか?」

これがはっきりしないと、個人でもチームでも動けないと私は考えていた。

 

一方で、このような質問をいくら繰り返しても、何も上達しない、何も前に進まないことにも気づかされた。

具体的な行動を伴わない「思考の遊び」は、どこまでいっても何も生み出さないことにジレンマを覚えた。

今現在であればこの問いや疑問を突き詰めることの意味を理解し、物事を前に進めることができる。しかし中学生、高校生、そして大学生や若手社員は、「まずやってみる」を優先すべきであろう。これなくして、自身の成長もなく、また周囲もチームの一員としてあなたを認めてはくれないだろう。正しい(正しそうな)作戦を、いくら時間をかけて練り上げても、敏腕営業マンが瞬時に繰り出す一撃には到底敵わないことが多々ある。「習うより慣れろ!」である。

ちょっと話は逸れるが、最近、素晴らしい人に出会った。その方は元敏腕営業マンで、現在は起業家として奔走されている。彼は私にこう言った。「常に心がけていることは、まずは素直な気持ちで先輩や専門家の話に耳を傾け、そのアドバイスをそのまま実行してみることです。できるだけ早く実行することです」と・・・・。そのとおりである。素直に聞いて、四の五の言わず、まずは実行してみる。

これである。心を洗われる思いであった。

 

しかし、しかしである。やはり、全体像に関するこだわりは捨てられない。私自身が起業家だった頃も、また大学の教員として学生を指導する立場になってからも、全体地図(航海図)が不可欠であると強く感じてきた。思い起こせば起業家だった頃、わかりやすく、精度の高い練り込まれた事業計画を常時携帯し、いつでも、どこでも、誰にでもピッチできるように準備していた。

3分ぐらいで事業計画(ビジネスモデル)の全体像が見えてこないと、投資家やお客さんはそっぽを向いてしまう・・。

大学の講義でも第1回目の講義で15回の全体像を示す。これなくして学生による積み上げ型の学習効果はあまり期待できない。

学会では15分で報告、15分で質疑応答という時間配分が私は最適であると考えている。これより長くても趣旨は伝わらない。とくに国際学会では(今まさに、コペンハーゲンでこれを執筆しているが)、初対面で、かつ全くの門外漢の方にも、10分ぐらいで私の研究テーマの意義、目的、方法論、そして結論(具体的な企業行動に関する提案)を示さないと、聞き手の記憶には残らないし、その後の質疑応答で建設的な議論を引き出せないことをいつも痛感している(今日も強く感じた)。しかも、学会でも、企業の方へのコンサルでも、私の持ち時間は常に変動する。

変化する現場では柔軟な対応が求められる。

短くも長くも瞬時に尺を調整して、魅力的な話をしなくてはならない。これがプロに課された当たり前の能力なのである。

 

果たしてみなさんにとって理想的な上司・リーダーとはどのような人物だろうか?

即、具体的に行動し、瞬時に結果を出していくリーダーであろうか。それとも、誰もが納得する中長期の計画を10分で解説し、そのうえで今日あなたが取り組むべき具体的な課題を提示できるリーダーであろうか。考えてみてほしい。

答えはもちろん、「both」である!これが理想であると私は考えている。これにプラスして「パッション(情熱)」も求められる!

 

さて、前置きが長くなったが、論文執筆はこのプロが備えるべき当たり前の能力を研鑽するのに最適なトレーニングであると私は強く信じている。

論文を執筆する過程において、人は、全体像と具体性の間を何度も行ったり来たりして頭の中で対話を繰り返す。何度も何度も対話を繰り返すのである。この作業を通じて、全体像と具体性の関係を構成していくのである。答えは簡単には出てこない。

論文の全体像が固まっていない時にフィールドワークに出かけてみると、具体的な企業の取り組みに接して、全体像が事後的に発現することもある(帰納的方法)。複数の企業を回ったあとで、改めて文献を読み直すと、新しい視点や文献と文献の間に隠れていたリンクが見つかることもしばしばである。

このようにして一歩一歩、論文の全体像を固めつつ、企業や担当者が取り組むべき具体的行動、提示したい具体的なインプリケーション(論文が企業や学者へ与える示唆)がだんだん見えてくるのである。

臼井ゼミでは常に、

「誰のための、どんな問題を解決するための研究なのか?」を考えてもらう。

論文はプレゼンとは異なる。そう、文書化しなければならないのである。主語と述語の関係を考えながら、一文一文、文章を起こしていくのである。しかも臼井ゼミでは英語で論文を書く。一点も曇りのない状態にできる限り近づけなければ、文書化などできるはずもない。論文執筆は荒業なのである。

 

リーダー(プロ)には論理性、行動力、そして情熱が求められる。

私は、将来、みなさん全員にリーダーになってほしいと考えている。

リーダーというと、限られた人の役割のように思うかもしれないが、そうではない。3人のメンバーでもリーダーは必要である。

臼井ゼミでは全員がリーダーだと考えている。そしてあらゆる組織においてもメンバー全員がリーダーとしての自覚を持って取り組めば、常に前を向いて皆で努力できる、素晴らしいチームを作ることができると私は信じている。そこで求められる力こそが、

 

「全体像と具体性を構成する力」なのである!

 

さあ、論文を書こう!これは大学でしかできないことである。そしてリーダーを目指そう!人間としてこの世に生を受けた以上、組織へ、そして社会へ貢献しよう!

一歩を踏み出す勇気を持とう!