論文執筆の価値
シリーズ第1回「強い興味と関心に基づく読解力」
私は、過去10年間、大学生、社会人院生へ論文執筆の指南をしてきた。現在でも国内外の共同研究者とともに論文執筆に日々悩んでいる。そこで浮かぶ疑問がそもそも個人にとって論文を執筆する価値とは何か?である。理系でもない文系の学生が果たして真理を追求できるのだろうか?企業に就職してから役に立つのだろうか?大学生はいかなる能力の修得を目指して論文執筆という荒業に挑むのだろうか?今回のブログではこの問題に関する私の考えを3回に分けて披露しよう。
私は論文執筆には人生を豊かに過ごす奥義があると考えている。
事実、私は、論文執筆のみならず、企業コンサルから子育て、様々な交渉事においてもこの奥義を実践し、豊かに暮らしていると自負している。
論文執筆の価値、すなわち身につけることができる能力は3つある。
今回は第一の価値(身につく能力)について考えてみよう。
1.強い興味と関心に基づく読解力
2.科学的手法に基づく説得力
3.全体像と具体性を構成する力
1. 強い興味と関心に基づく読解力
高校生までの読書や国語の授業においても、ものごとの因果関係(=ロジック)を読み解くことを念頭においた教育はなされてきた。しかし題材は自身の関心とは程遠いことが多い。私自身、歴史書とビジネス書を除いて読書は大嫌いであった(現在でも小説は読まない)。自然言語は数字と違って解釈は多義的であり、読解には苦労する。「答えはひとつではない」という信じられない言葉が指導者より浴びせられることもある。
さて、論文執筆の場合、準備段階では、関連する文献(書籍、論文、新聞・雑誌記事、統計資料など)を網羅的に収集し読み進めなければならない。これには半ば強制的に取り組まなくてはならない。ICT社会では我々が大学生だった頃とは比較にならないぐらいリーチ出来る文献や資料の数が指数関数的に増大している。皆さんはラッキーである。
収集した文献を読み進める際、最初の1冊は高校までの課題図書や国語の教科書と同様に、難解でしかない。
苦痛だ。根性で乗り切るしかない。
しかし、2冊目、3冊目と読み進めていくうちに、著者(研究者)間の視点や前提条件の異同が徐々に明らかになってくることを感じるだろう。1冊目には3日費やした読書時間も、2冊目は2日で、3冊目は1日で読めるようになる。7冊目ぐらいになると、もう何が書いてあるか、先取りしながら読み解けるので、マーカー片手に3時間ぐらいあれば読破できてしまう。
楽しい!
もちろん読書時間には個人差はある。大事なことはその過程で当初はバラバラに見えたデータや言説が、後から出現してくる一定の枠組みに基づき、塊へと整理されていく様である。
気持ち良い。なぜか?
私は主体を明確にしながら文献を読み解くことをお奨めしている。
我がゼミでは
「誰のための研究なのか?」
「誰に読んでもらいたいのか?」
を何度も自問自答してもらう。同じに見える問題でも、行政の立場、経営者の立場、部長の立場、消費者の立場では、フォーカスが異なる。このレンズを絞って(興味や関心事を絞って)読むことが、深い理解(すなわち読解力)につながる。
“自分ごとにする”
ということである。読み手が明確な目的(明らかにしたい問題)をもって主体的に読み進めれば、高校生や大学1年のときに
あれだけ苦痛だった課題図書が、嘘のようにすらすら読解できる。
一旦、この波に乗れば、どんな文献が来ても、たとえそれが英語で書いてあっても不思議なことになんとなく理解できてしまう。これこそが専門家への第一歩である。
かつて大前研一氏が自身の著書のなかで述べていたことを思い出す。彼は毎年テーマを決めて、読書をするらしい。今年は「年金問題」と決めたら、関連文献をとことん読み漁るそうである。彼は経営者、政策担当者、生活者、外国人、歴史上の人物などのあらゆる視点(主体)から同時に読み解くことができる達人であろう。しかし我々凡人であっても主体をひとつに絞れば、
複雑な問題にひとつの方向からの見解を与えることができる。
そしてこれこそが読解力の基礎となり、その後の人生を豊かにしてくれる。ものごとを「診る」スキルを身につけることができる。これは明らかに情報収集としての読書とは異なる。なぜならこの方法は、問題の所在や原因を深く理解するのに役立つからである。
自分ごととして捉え、自分が解決しなくてはならないと決意したとき、なぜこの問題が生じているのか?を必死に考えるようになる。
これこそが読解に他ならない。次回はこの読解力を基礎として、論文執筆のハイライトである「科学的手法に基づく説得力」について紹介する。